性を超えて 三話 父ちゃんが決めればいい

朝日新聞
性を超えて 三話
07.09.23 掲載
父ちゃんが決めればいい


 京都の高校教師、土肥(どひ)いつき(45)はまず、黙ってホワイトボードにこう書いた。
 「私の性別、何だと思われますか」
 聞き手は徳島県内の教師たち。黒のパンツスーツ姿のいつきの笑顔をじっと見つめた。
 戸籍の上ではいつきは男性。でも心に合わせて女性として生きているこの数年、頼まれて自分について話すことがある。
 9年前にパートナーの淳子(じゅんこ)(43)に打ち明けるまでは、女性の体のパーツを持ちたいと願い、隠れて女装していることを「恥ずかしい」「だれにも言えない」と思っていた。
 自分の話で性同一性障害について分かってもらおうとは、いつきは思っていない。ただ、だれにも心の奥に封じ込めていることがあるはず。それと向き合うきっかけになればいい。
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 今年春、勤務先の府立高校でいつきが女性用の職員トイレや更衣室を使うことについて、養護担当の教員が二十数人いる女性の教職員に聞いた。全員の同意までは得られなかった。
 1人でも反対する人がいるなら使えない、といつきは思う。女性休養室の使用は全員が了解したので、着替えはそこで。職員トイレの掃除当番は男性用でなく女性用が回ってくる。
 顧問をする放送部の生徒や数学を教えているクラスには、自分のことを話した。「そうなんや」。反応は拍子抜けするほどあっさりしていた。
 いつきをドッヒーと慕う放送部員たちは話す。「ほとんどの子は、ドッヒーは男か女か、ま、どっちでもいいか、くらいと違うかな」
 夏合宿では生徒たちが部屋割りを決め、いつきは当然のように女子部屋に入っていた。しかしいつきは、部屋の隅の板の間にふとんを敷いた。大浴場にも入らなかった。仕方ないことは、やはりある。
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 「僕には、普通に『おやじ』です」といつきの息子(15)は言う。
 小学校低学年のころ、淳子からこう聞いた。
 「世の中にはいっぱいの性別があってな。女の体で生まれてきても、男の人の心で、『おかしい、おかしい』と思っている人もいるんやで」
 「そこまでいかんでも、『男らしくしろ』と言われてしんどい人もいる」
 おぼろげながら息子は、女性に移行する前の父を覚えている。「父ちゃん、割と劇的に変わりました。南こうせつみたいな髪が長くなって、ひげもガッとそった」。それをいやだと思ったことはない。
 「たまに服が似合ってねえーと思うことがあるけど、僕も服にあまり気を使わない方だし」
 小4のとき、同級生に「おまえの父ちゃん、おかま」と言われて、けんかになった。中学校では、自分に近づいてきて「性同一性障害」とだけ言って逃げるのがはやった。
 そんなときは舌打ちで返したが、「おれもおやじも中傷されるいわれはない」と腹が煮える思いだった。
 塾の書類に保護者の性別欄があった。「どうしても書かなければなりませんか」と聞いて空欄にした。改名したいと父から相談されたときも「自分が言うことではない。父ちゃんのことやから、父ちゃんが決めればいい」。
 学校に行きたくなかった中3のころ、父は黙ってバイクの後ろに自分を乗せて北山をドライブしてくれた。ガソリンのにおいとエンジン音が好きだった。
 娘(10)はいつきと「アルプス一万尺」などをして遊ぶのが好きだ。
 主人公の子どもの性が変わる漫画を読んで「自分の子どもがそうだったら、私はいいお母さんになれるのかな」と思った。
 でも「私も男の子になったりするの?」と疑問ももった。淳子が「今見てると、そうでないと思うな」と答えると、「よかった」と笑った。
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 01年、いつきは淳子に診察についてきてもらった。
 精神科医によるカウンセリングの段階から、女性ホルモン投与へ進むかどうか。「進みたい」と望むいつきの隣で、淳子は医師に「私はホルモン投与はしてほしくない」と話した。
 主治医は「時間が必要ですね。2人で航海図を作っていって下さい」と言った。
 確かに大海原があった。ホルモン療法、その先に性転換(性別適合)手術という選択肢。女性の服を着たり、改名したりして、社会的に女性として生きる幅を広げる道もある。
 それからホルモン投与を始めるまで3年。その後も家族や周囲の理解を探りながら、少しずつ性という壁を超えてきた。
 今春、大学病院で承認が出て、性別適合手術も望めば受けられる段階にある。しかしいつきは、それが本当に必要なことか、それによって自分や家族にどんな負担が伴うかをしばらく考えていくつもりだ。
 互いがさりげなく支え合っている日常。「4人で生きていくのは、おもろいですから」と、いつきはしみじみと言う。
 航海図作りはまだ続く。(敬称略)
(井田香奈子)
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 次は、父のカツラに揺れる家族の物語です。