リカちゃん人形問題

いまさら論じるのも、あれだけど、ちょっと暇なので。


「リカちゃん人形が好きでない女の子がいても良いじゃないか」という主張と、
「リカちゃん人形の好きなおじさんだったらキモイ!!」という主張を同時にすることは、


女性では「典型的でないジェンダーロールの行動でも良い」と言う主張で、
男性では「典型的でないジェンダーロールの行動は悪い」という主張であり、
矛盾して、ナンセンスだと思っていたが。


しかし、2つの命題を矛盾なく説明できる論理構成があることに気がついた。
「典型的でないジェンダーロールの行動の是非」を論じているとすれば、2つの意見は確かに矛盾する。


しかし、「リカちゃん人形好きな人間はだめ」というのが主張であれば矛盾しない。
そうであれば、女性がリカチャン人形が嫌いであれば、賞賛されるし、
男性がリカちゃん人形が好きだと、きもいといわれるわけで、まったく筋が通る。


より幅広く言えば、「女性的な行動はだめ」で「男性的な行動はえらい」という論理になるだろう。
その論理の中では、男性的行動をする女性は賞賛される。
女性的行動をする女性は、侮蔑される。
女性的行動をする男性は、強く侮蔑される。


というわけで、ジェンダー学者の中には、「典型的でないジェンダーロールの行動でも良い」と言う主張ではなく、「女性も、女性的行動でなく男性的行動をとるべき、とれるべきだ」という主張があるのだろう。


かくして、専業主婦が、ジェンダー学者より保守派のおっさんが好きな理由が分かった気がする。