子どもの性同一性障害を考える

現代性教育研究月報2007年2月号1-5p
http://www.jase.or.jp/jigyo/kyoiku_geppou.html


子どもの性同一性障害を考える
針間克己


はじめに
今回、日本性教育協会より「子どもの性同一性障害について論じてほしい」という依頼を受けました。確かに、昨今、性同一性障害は大人だけでなく、中学生、時には小学生あるいは未就学児にでもその診断を受けるものや、そうではないかと思わせるものが存在し、対応の指針はいまだ定まらず、医療においてのみならず、学校現場あるいは家庭においてもその対応に苦慮すると思われます。この状況で、子供の性同一性障害について論じることは意義深いことではありますが、正直いろいろな側面から、難しいテーマです。編集部からは、難しい、ということを前提の文章でもかまわないということなので、難しい、難しい、と困りっぱなしの文章になりそうでもありますが、何とか論じてみることにします。

性同一性障害の経過
「子どもの性同一性障害」そのものを論じる前に、まず理解しておきたいことして、性同一性障害の経過があります。というのも、世間一般的には「性同一性障害者は、全員が物心ついたころから性別違和があって、それが大人になるまでずっと変わらずに続く」という誤解があり、子どもの性同一性障害も、必ず大人になってもずっと性同一性障害が続く、という風に思われがちだからです。
このような誤解が流布しているのは、いくつか理由が考えられます。ひとつには、「物心ついてからずっと」というのは、わかりやすいイメージであり、マスコミなどで登場する作家の虎井まさ衛さんや、世田谷区議会議員の上川あやさんといった、代表的な性同一性障害の人も、こうしたイメージに合致する経過の人だからです。もうひとつにはジョン・マネーの唱えた、「人のジェンダーアイデンティティは臨界期(3歳頃)までに決定し、それを過ぎれば変化しない」という学説が、専門家の間でも広く信じられてきたことがあります。こうした理由から、社会の多くの人は「性同一性障害者は小さい頃から性別違和をずっと変わらず抱えている」と思っています。
しかし、これは間違った考えです。確かに、FTM(女性から男性になる人)においては、多くの人が「自分は小さい頃から男性のように感じていた」と語ります。しかしMTF(男性から女性になる人)においては、小児期においては、性別違和はそれほど感じていなかったが、大人になって徐々に女性になりたい気持ちが強まったという人も多くいます。
話はややずれますが、現在の性同一性障害者の性別を変更する特例法という法律では、子どもがいる人は性別変更をすることができません。社会一般には「そもそもどうして性同一性障害なのに、結婚して子どもがいるのだ?」という疑問の声もあり、それに対して「性別違和はあったが、当時は性同一性障害という言葉もなく、仕方なく結婚した」「結婚して子どもができれば、普通の男性(あるいは女性)になれると思ったがだめだった」という具合に当事者が反論することもあります。しかし、医学的事実としては、特にさほどの性別違和がなく結婚し、子どもができた人が、その後強い性別違和を持ち、身体的社会的に性別変更を望むというのは十分ありうることなのです。

子どもの性同一性障害の経過
さて、では子どもの性同一性障害は、その後どういう経過をたどるのでしょうか?
結論から言うと、子どもの性同一性障害は大人の性同一性障害に必ずなるわけではない、ということです。
外国には子どもの性同一性障害の追跡研究がいくつかあります。
もっとも有名なのはイギリスのグリーンによる研究です。かれは4歳から12歳(平均9歳)の男児性同一性障害44名を追跡調査(追跡調査時の平均年齢19歳)しました。すると、その中で、性別適合手術を真剣に考えていたのはたったの1名でした。ただ、性的空想においては、33名(75%)に同性愛ないしはバイセクシュアルの傾向が認められました。
またズッカーの追跡調査によれば、思春期前の45人の性同一性障害者の中で、14%が思春期になっても性転換を希望しました。コーヘン・ケティニスの報告では、初診時に12歳前だった129人の小児の中で、74人がすでに12歳を超えていて、その74人中、17人が強い性別違和を持ち性別適合手術を望んでいます(女性8人、男性9人)。
これらの研究から推測されることを平たく言えば、「幼稚園や小学校低学年で性同一性障害と診断されても、大人になって性別適合手術を望むものは少ない。ただ、中学校に入って性同一性障害と診断されるものはそのまま性別適合手術を望むものは増えてくる」ということではないでしょうか。
 ただ、以上のことはあくまで欧米のデータでのことです。日本では長期の追跡調査はありません。しかし、日本でも「子どものときは性同一性障害のようだったが」といった事例を私はいくつか知っています。
まずは、2004年8月4日の東京新聞には女子サッカー選手の荒川恵理子選手のこんな記事があります。
>三歳か、四歳のころ。「クリスマスに何が欲しい?」と聞かれ
>「デパート行って、“ちんちん”買ってくるわ!」。
>二番目の兄喜弘さん(29)は「『なんで自分にはついてないの』と何度も聞くから、大きくなったら生えてくるよ、と教えていた」
>荒川選手には七五三の晴れ着写真がない。三歳のとき、母の栄子さん(64)が着物かドレスを選ぼうと百貨店へ連れて行った。「これがいい」と指さしたのは羽織はかまだった。
>制服以外でスカートをはいたことがない。

と、性同一性障害の診断基準を満たすようなエピソードが続きます。しかし、結局
>でも、「今は男の子になりたいとは思いません」と、すがすがしく笑った。
とのことで、大人になっては特に性同一性障害にはならかなったようです。
また、レズビアンであることをカムアウトした大阪府議の尾辻かな子さんは、「カミングアウト―自分らしさを見つける旅」という本を出していますが、そこに記されている彼女の子供時代はまさに「子どもの性同一性障害」と診断すべきエピソードで満ちています。しかし、彼女は大人になってからは、レズビアンではありますが、男性になりたいという気持ちはなく、女性として生きています。
これらのことを考えると、日本で諸外国と同様、子供の性同一性障害は必ずしも大人の性同一性障害にはなるわけではない、ということはいえそうです。

子どもの性同一性障害の診断
子どもの性同一性障害にも、大人と同様に診断基準があります。ここではアメリカ精神医学会の作成したDSM-IV-TRの診断基準を示します。

A.反対の性に対する強く持続的な同一感(他の性であることによって得られると思う文化的有利性に対する欲求だけではない)。
●子どもの場合、その障害は以下の4つ(またはそれ以上)によって表れる。
1)反対の性になりたいという欲求、または自分の性が反対であるという主張を繰り返し述べる。
2)男の子の場合、女の子の服を着るのを好む、または女装を真似ることを好むこと。
女の子の場合、定型的な男性の服装のみを身につけたいと主張すること。
3)ごっこあそびで、反対の性の役割をとりたいという気持ちが強く持続すること、または反対の性であるという空想を続けること。
4)反対の性の典型的なゲームや娯楽に加わりたいという強い欲求。
5)反対の性の遊び仲間になるのを強く好む。
B.自分の性に対する持続的な不快感、またはその性の役割についての不適切感。
●子どもの場合、障害は以下のどれかの形で現れる。
男の子の場合、自分の陰茎または睾丸は気持ち悪い、またはそれがなくなるだろうと主張する、または陰茎を持っていない方が良かったと主張する、または乱暴で荒々しい遊びを嫌悪し、男の子に典型的な玩具、ゲーム、活動を拒否する。
女の子の場合、座って排尿するのを拒絶し、陰茎をもっている、または出てくると主張する、または乳房が膨らんだり、または月経が始まって欲しくないと主張する、または、普通の女性の服装を強く嫌悪する。
C.その障害は、身体的に半陰陽を伴ったものではない。
D.その障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。

このように診断基準はありますが、実際には子どもへの診断は難しいものがあります。それは、アスペルガー症候群などの発達障害との鑑別です。アスペルガー症候群では、ジェンダーアイデンティティが混乱し、性同一性障害類似の症状を訴えることもあります。小児精神医学専門の精神科医でもない限り、軽度の発達障害の診断は必ずしも容易ではありませんので、性同一性障害と誤診する可能性も否定できません。ですからほかの疾患も含めて、子どもの性同一性障害に関しては診断を慎重にする必要があります。
また、一応、「性同一性障害」と診断されたとしても、その原因については大人の性同一性障害とは別個に考える必要があります。大人の性同一性障害については「生物学的基盤があると推測される」ものですが、子どもの性同一性障害については必ずしもそうではありません。つまり、子どもの性同一性障害は、養育環境などの後天的影響によるものがかなりありそうだということです。
たとえば、学校等でのいじめ、両親の不仲、家庭内暴力、虐待、家族など身近な人物の死亡・別離などの要因です。面接・診察においては、こういった家族・学校などの養育環境を慎重かつ十分に評価する必要があるのです。

治療あるいは対応の方針
子どもの性同一性障害への治療、あるいは対応は、これもまた極めて難しい問題です。
というのも簡単に言うと、専門家の間でも「治療するべきではない」派と「治療すべし」派に分かれ意見の統一がないからです。
国際的な治療指針である「性同一性障害の治療とケアに関する基準」では「心理的・社会的介入」として「専門職はジェンダーアイデンティティを認識したうえでそれを受容しなければならない。秘密が受容され,取り除かれることによって,かなりの精神的に解放されるものである。」「治療は,子どもの日常で併発する問題の改善や,ジェンダーアイデンティティ問題や他の困難な状態からくる苦悩の低減を中心課題として行われるべきである。」などと記されています。つまり簡単に言えば、支持的に接することで、その苦しみを和らげることに、その主眼がおかれています。
しかし、一方で、積極的な治療を進める立場の人もいます。ここで言う「治療」とは「体の性」に「心の性」をあわせる、あるいは「体の性」にふさわしい性行動を取らせるようにする、というものです。つまり、たとえば女児的な行動をとり「性同一性障害」と診断された男児がいた場合、「男の子らしくなるように」治療するというのです。具体的には、父親と男の子らしい遊びを一緒にするように促す、男の子らしい遊びや振る舞いをしたらほめ、女の子のような遊びや振る舞いをするとほうっておく、といった類のことです。
こうした治療を行う理由としては、「大人になったとき性同一性障害になるのを予防する」「大人になったとき同性愛になるのを予防する」「いじめられないようにする」などというものです。こういった治療方針に対しては「ほうっておけば多くは治るのだから、そういったことをする必要はない」「同性愛になったらいけないのか」「子どもに苦痛を与えるだけでは」「治療効果はあるのか」といった批判があります。
それぞれの批判に対してまた反論は当然あるのですが、実際に「治療効果」がどの程度あるかははっきりとわかっていません。そういったこともあって、子どもの性同一性障害への治療あるいは対応については、専門家の間でも意見がばらばらというのが現状なのです。

では、実際にどうすればいいのか
ここまでで、子どもの性同一性障害は、1.診断が難しい、2.その後の経過の予測が難しい、3.治療・対応方針が難しい、といくつもの点で難しいことを述べました。
ただ実際に学校現場で、子どもの性同一性障害に取り組まねばいけない場面も起こりうると思います。そこでは、「難しい」とばかりはいってられません。今、この目の前にいる子どもに対応せざるを得ません。そこで、実際にはどうすればいいのか私の考えを最後にいくつか記したいと思います。
1.あわてて「性同一性障害」と決め付けない。
最近は性同一性障害もすっかり有名になり、ちょっとしたことで、すぐに「性同一性障害だ」と決め付ける風潮もある気がします。しかし、子どもの場合は、必ずしも男児男児特有の、女児は女児特有の行動を取る子どもばかりではありません。男児が女児的な、女児が男児的な行動をとることはいくらでもあることです。そういった行動を子どもが取っていたとしても、あわてず、できるだけおおらかな気持ちで、子どもの成長をまずは見守りたいものです。
2.専門医による十分な診察を。
とはいえ、性別に沿わない行動が著しく、そのことで子ども自身が困っているような場合には、医学的診察も必要になります。その場合、既に述べたように、診断は容易なことではありませんから、専門的知識のある精神科医に慎重かつ、さまざまな角度からの十分な診察を受ける必要があるでしょう。
3.子どものことを第一に
その後の対応ですが、当然のことながら子どものことを第一に考えて方針を考える必要があります。というのも、子どものためではなく、親の都合、教師の都合、学校の都合などで対応が決められる場合もありうるからです。心身の発育の大切な時期に、性別の悩みがあるだけの理由で、十分な教育の機会が奪われるとしたら不幸なことです。子どもが適切な学校生活が送れるような配慮が必要です。ただ、その場合も周囲の大人が先回りしすぎたりせず、子どもの考えを良く聞くことが大切です。つまり、たとえば、「黒いランドセルでなく赤いランドセルで学校に行きたい」だけなのに、周囲が「性同一性障害だから」と、何から何まで女児扱いしようとお膳立ててしまうと、かえって本人には負担になるということもありうるのです。
4.将来の変化も視野に入れて
子どもが性同一性障害と診断されて、学校や大人がそのことを考慮して対応したとしても、成長に応じて、通常の男性、女性になったり、あるいは同性愛者になることは大いにありうることです。ですから、将来にはさまざまな状態が起こりうることを、周囲はいつも心に留めておく必要があると思います。

最後に
以上、あまりまとまらず、子どもの性同一性障害について述べました。必ずしもそこに明確な答えはありませんでしたが、でもそれは何も性同一性障害の子どもに限ったことではないのかもしれません。どんな子どもも、一人一人違い、その将来はさまざまな可能性を秘めています。その子どもへの教育も絶対的に正しいといえる方針はないでしょう。しかし、大人が子どものことを大事に考え、真摯に向き合っていけば、子どもはそれぞれの伸びていく姿へと成長していくのではないでしょうか。