「手をつなぐくらい」とはどれくらいか。

「手をつなぐくらいでいい」とはいうまでもなく、中村中さまの「友達の詩」のさびの部分だが。
「手をつなぐくらい」とはどれくらいなのだろうか。


歌詞の文脈的には「友達くらい」以上であり、「並んで歩くくらい」と同程度、とも思える。
友達よりちょっと深い程度の付き合いというか。


しかし、「手をつなぐくらい」とは本当にその程度か。
女の子どうしでは気軽に手をつなぐってあるけれど。
カップルだと、なかなか敷居が高いと思う。


中学生ぐらいの純情カップルであれば、手をつなぐという事はまさに一大イベントである。
大人であっても手をつなぐのはかなり恥ずかしい。


というか、愛情なく性交するというのは、ありえる気もするが。
手をつなぐというのは、よほどの仲、あるいはよほどの仲になりたい相手としかしない行為だと思う。
性交が肉体の交流であるとすれば、手をつなぐことは魂の交流というか。
実際に、しかるべき相手となら、手をつなぐだけで電流は走る。


というわけで、
「手をつなぐくらいでいい」とは、一見した所、
「せめて手ぐらいはつなげる仲で」というふうに思えるが、
じつは、魂が結びつく事の出来る相手を希求する、心の底からの叫びに私には聞こえる。