Robert Spitzerの「性同一性障害は病気だ」という反論

「Sexual And Gender Diagnoses of the Diagnostic And Statistical Manual (DSM): A Reevaluation 」の本に再び戻り。


Robert Spitzerの論文が興味深い。
これは2003年のアメリカ精神医学会総会でのシンポジウムで、「性同一性障害(特に子供の)は削除せよ」という発表に対しての反論発表をまとめたもの。
Robert Spitzerは、DSMⅢでの同性愛削除のときの責任者なのだが、最近は「同性愛は異性愛に治療可能な場合あり」と発表し物議をかもしているお方。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Spitzer_%28psychiatrist%29


以下、部分訳。


次に性同一性障害について考えてみよう。Dr.HillはDSMⅣの記載とは違い、ジェンダーは男女二つに区分されるものではない、われわれはみな、男女の中間のどこかに位置していると言った。本当か?それは私にとっては初耳だ。生物学的には、ごく少数の例外を除いては、われわれみな、男性か女性かのどちらかだ。生物学的には、ごく少数だがインターセックスが存在する。われわれ全員が男女の中間に位置するのではない。ジェンダーアイデンティティに関しては、われわれすべては、男女の中間に位置するのか?自分が男性だと確信しているのは少数で、大多数は確信していなくて、その極端な例では自分を女性と思っているのか?事実は違う。事実は大多数の男性は、自分が男性であることを知っていて、そのことは自明の理だ。男性であることに違和感を感じているのはごく少数だ。Ken Zuckerが指摘しているのだが、ジェンダーアイデンティティに問題がありクリニックを受診する子供たちと、対照群の子供たちを比較したら、重なり合うところはほとんどない。
女児と一緒に遊びたがる男児はほとんどいない。男児男児と遊びたがる。すべての文化で男児男児と遊びたがる。女児は女児と遊びたがる。教えられたり、勧められるからそうするのではない。子供が持つ関心というのは、人間に生来的なものなのだ。進化心理学に関心があるのなら、そのことに生存競争的価値があるのかと自問するだろう。答えはイエスだ。何千年前、男性は狩を行い、女性は子育てを行った。その時代、成長した後に一緒に狩に行く男児とともに過ごしたほうが、男児の利益となるのだ。
 Dr.Hillが、性役割は文化ごとに異なるといったことは正しい。しかし、すべての文化において、性別は男女に二分されるものとみなされ、性別を見分ける決まった方法がある。たとえばわれわれアメリカの文化では、男性で口紅をするものはほとんどいない。口紅をしない女性はいるが、口紅をするものはほぼ全員が女性だ。もちろん誰も口紅をしない文化もある。
 子供たちは、通常はジェンダーアイデンティティの感覚を発達させる。教えてそうなるのでなく、自然とそうなるのだ。生物学的性別に一致するジェンダーアイデンティティを発達できないことは、機能不全だと考える。診断の困難さと、治療方法やその是非は別問題である。

Sexual and Gender Diagnoses of the Diagnostic and Statistical Manual (DSM): A Reevaluation

Sexual and Gender Diagnoses of the Diagnostic and Statistical Manual (DSM): A Reevaluation