ほんとうのじぶん ―性同一性障害の子どもたち 5 .自殺未遂

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5 .自殺未遂 (2006/08/05)
心の性明かせず絶望感

 二〇〇〇年十一月、東京郊外の住宅街。

 中学二年の翔(しょう)子(こ)=仮名=は、自殺しようとしていた。家族が寝静まると、居間のテーブルで、「中途半端な人生にピリオドを打つために」と便せんに書いた。途中、シャープペンシルの細い字がゆがんだ。泣いていた。その遺書を、ポケットに入れた。

 「自分の性別に疑問を持たない人間に生まれ変わって、人生をやり直すしかない」

 翔子は父親のブランデーを探し出し、水で割って一気にあおった。梅酒も飲んだ。酒の味など分からない十四歳。苦しかったが、「肝臓を弱らせるため」だった。

 頭痛薬を口いっぱいにほおばった。何度も何度も飲み込んだ。三十錠飲んだ。身体が熱くなった。「これで死ねる」と思い、床に就いた。

 でも、死ねなかった。

◇   ◇

 優(ゆう)(7つ)や春(はる)樹(き)(9つ)=いずれも仮名=のような性同一性障害の児童は、まだ自分の考えをうまく表現できない。

 幼少期から抱える性別の違和感とはどんなものなのか。その苦しみを、中学三年で性同一性障害と診断され、現在十九歳になった翔子に語ってもらった。

 翔子は五歳のとき、保育園で裸になっている男児の股(こ)間(かん)を見て、「同じ物が小学生になったら生えて来る」と思った。小学二年になる直前まで、毎日心待ちにしていた。自分では男の子のはずだった。でも、「同じ物」は生えなかった。

 「これは思い過ごしだ。今変なことを口走ると、後で引っ込みがつかなくなる」。幼心に自分は異常だと思い、「心の性」は誰にも明かせなかった。小学校時代は「女として暮らすことがそれほど嫌ではなかった」が、時々沸き上がる性別の違和感にさいなまれた。「こんな変な風に生まれついてごめんなさい」。親に対して申し訳なく、考え出すと、涙が止まらなかった。

 髪を意識して伸ばしたり、より女っぽい格好をしたりと、「普通の女の子」になる努力をしたこともあった。しかし、第二次性徴を迎え、胸が膨らみ出すと「怖くなった」。日々変化していく自分の身体が、「得(え)体(たい)の知れない物になっていく」と感じた。

 中学校に入った翔子は、自分のことを「俺(おれ)」というようになった。男子生徒と付き合ったが、男同士で恋愛しているように感じてもいた。

 中学二年になり、「自分が男にも女にもなれないのではないか」と思い始めた。翔子は、行き詰まっていた。十月には彼氏と別れた。

 「人生をやり直したい」と考えた。自殺を決意するまで、時間はかからなかった。

◇   ◇

 薬を三十錠飲んで一時間。翔子は目覚めた。

 「あ、生きてる…」

 翌日は普通に学校に行った。死に損なった絶望感は大きかった。様子をいぶかしく思った養護教諭に声を掛けられ、「自殺未遂をした」と答えた。それでも性別違和感については言えなかった。

 それから二カ月。

 絶望感が引いたとき、翔子の心にひとつの結論が浮かんだ。

 「自分が作っていた女の部分は、死んだんだ」

 翔子は、自宅で髪の毛をばっさり切った。