「性同一性障害」の苦悩 厳しすぎる特例法の条件

2006年4月9日 読売新聞中部発
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/saizensen/saizensen060409_1.htm
(リンク先写真あり)

性同一性障害」の苦悩 厳しすぎる特例法の条件


生活実態支援の改正法を


 「いいかげんにしてくださいよ。理解できない行動してんじゃないよ!」

 岐阜県羽島市の会社員水野淳子(あつこ)さん(45)はこう言われ、涙がこぼれた。二男・渓(けい)君(12)が所属する少年野球のコーチらが自宅にやってきてしっ責したのである。昨夏のことだ。

 野球チームは、選手の父親が監督やコーチ、母親は救護、お茶担当という役割が決まっていた。水野さんは試合のたびに駆けつけ、けがをした子供の手当てをしたり、お茶を出したりしていた。コーチたちは、それをなじったのだ。

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 水野さんは、心と体の性が一致しない「性同一性障害者」で、性別適合手術で治療を受けた「女性」である。戸籍の名前を変え、2人の子供から「お母さん」と慕われているが、戸籍の性別欄だけは現在も男性のままだ。

 「性同一性障害は、病気なのに、誰も認めてくれない。現在の法律や国の考えでは、私たち親子には本当の幸せが訪れないんです」

 専門家はこうした障害者について、「常に着ぐるみを着ているような状態だ。間違った着ぐるみをつけているのだから、本人の戸惑いは計り知れない」と説明する。

 水野さんも違和感を覚えながら青春時代を過ごしてきた。なんとか男性として生きようと、23歳の時、女性と結婚し、2人の子供をもうけたが、違和感はぬぐえなかった。2001年11月、病院で診てもらうと、性同一性障害と診断された。39歳の時だった。妻と話し合い、お互いに納得して離婚、2人の子供を引き取り、「母」として新しいスタートを切ったのである。

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 性同一性障害が日本で社会的に認知され始めたのは、まだ最近のことだ。日本精神神経学会は1997年、性同一性障害を医学的に治療対象にすることを決め、国は2004年、こうした障害者を手助けしようと、一定の条件を満たせば、戸籍の性別を変更できる特例法を施行した。

 ところが、この条件が厳しい。支援団体「性同一性障害をかかえる人々が、普通にくらせる社会をめざす会」(本部・東京都)によると、心と体の不一致を感じて医療機関で受診した人は推計4000人だが、性別の変更を申し立てたのは373件にとどまっている。

 水野さんは岐阜家裁に性別変更を2度申し立てたが、却下された。特例法は「子供がいないこと」を要件の一つにしているからだ。父親、あるいは母親が2人になってしまい、子供が混乱するというのが理由だ。

 神戸学院大の大島俊之教授(民法)は「性別の変更を認める法律は世界各国にあるが、子供がいないことを条件にするのは少数派だ」と、立法のミスを指摘する。

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 「子供が死ねば、性別変更を認める、といっているのと同じ。冷酷です。司法の判断は厳しいが、何とか現状を変えていきたい」。水野さんは今年1月から、特例法の「子供がいないこと」という要件の削除を求める活動を始めた。

 水野さんが勤める会社は、男性として採用した当時の業務を変更しないまま、女性の制服を貸与し、女性として処遇している。2人の子供たちと仲良く暮らす水野さん。こうした人たちの生活実態を支援する法改正が急がれる。(沢村宜樹)


 性同一性障害者性別特例法   戸籍の性別を変更できる条件として、▽20歳以上である▽性転換手術(性別適合手術)を受けている▽未婚で子供がいない▽2人以上の専門医師の診断を受けている――ことなどを挙げている。