、東ドイツの女子砲丸投げ選手がドーピングの結果、性同一性障害になり、男性に性転換

オリンピック関係というか。
2000年のニュースだけど、「東ドイツの女子砲丸投げ選手がドーピングの結果、性同一性障害になり、男性に性転換した」という記事を見つけた。
http://www.namibian.com.na/Netstories/2000/May/Sport/0081DB4B1E.html
(最後に訳文あり。)


この記事からは、ドーピングの結果,gender identityが、女性から男性になったということのようだ。
機序としては3点考えられる。
1. もともと、性別違和があリ増強。
2. 身体・外見・声などが男性化することにより、2次的にgender identityが男性化。
3. 脳に直接影響を与え、gender identityが男性化。


いずれにせよ、思春期において、男性ホルモンを投与することで、gender identityが女性から男性化する可能性があるということだ。
とすれば、安易に若い時期に男性ホルモンを投与することで、実際には性同一性障害でないものが、男性化して、真のFTMになる可能性もあるということかもしれない。


(以下試訳)
金メダリストが性転換


ベルリン発。


東ドイツの女子砲丸投げ元チャンピョンが、火曜日ドーピングの処方をしていた男たちと、法廷で対面した。ドーピングでスポーツの名声はもたらされたが、その後望んでもいなかったのに男性へと性転換することになったのだ。


Andreas Kriegerアンドレウス・クリーガーは、以前は1986年のヨーロッパ女子砲丸投げチャンピョンのハイディ・クリーガーだった。彼はドイツの法廷で行われた、東ドイツの国家的スポーツ・ドーピング・プログラムの責任者2名の裁判で証言を行った。

クリーガーは短髪でひげを生やし、証言台に立った女子ドーピング被害者の中で唯一男性の姿をしていた。彼は、他の証言者と同様に、1983年に最初に男性ホルモン薬剤の投与を受けた様子を証言した。

性転換の原因は、投与された男性ホルモンだけにあるとは言わなかったが、34歳になった彼は、その男性ホルモンは「性同一性障害傾向を強要し」たにもかかわらず、当時は関係した医師や役人たちは、そのことを無視していたと述べた。


彼らは、 クリーガーが16歳から17歳の間、1日5錠の男性ホルモン剤を投与し、さらに女性ホルモンもおそらく投与していた、と彼は述べた。


このドーピングシステムは、裁判にかけられた二人の指導のもとにおこなわれていた。東ドイツドーピングプログラムの責任者であった現在74歳のManfred Ewald と、共産主義スポーツ医学協会副代表だった、Manfred Hoeppnerのふたりだ。


ふたりは、身体に障害を負わせたとして、142のケースで告発されている。


クリーガーは、自分は若い女性だったにもかかわらず、毎週合計で180トンもの重量を上げるトレーニングを課せられていた、と法廷で述べた。


「まるで自分自身ではなかったようです。自分はその横に立っていたという感じでした。」と彼は述べた。彼はひたすら過酷な訓練に耐える日々だったと述べた。ドーピングを続けるにつれて、声が低くなり、周囲から男に見られるようになったという。


証言台に立ったほかの証人たちは、当時は10台の若い女性だったので服用薬剤が違法なものだという認識はまるでなかったと述べた。しかし、彼は、この薬剤は「やばいものだ」と認識していたと述べた。


服用ホルモンは、大きな国際大会の前に「一時的な注射」に変更されていた。当時東ドイツだったStuttgartで開催された 1986年のヨーロッパ大会で彼は金メダルを取った。


彼は、彼の見解として、ドーピングは現在も多く使われていると述べた。なぜなら女性が20メートル以上砲丸を投げるのは「生物学的に不可能」だからだという。


彼は現在の生活ぶりを述べ証言を終えた。すなわち、体内では生産不可能な男性ホルモンを3週に1度注射しているという。


しかし彼は、男性に性転換したことに十分に適応できているという。「私は男性であるミスター・クリーガーを自分自身と思えるよ」と彼は述べた。


証人となったスポーツ選手たちは、全員が、禁止薬物の後遺症に苦しんでいることや、障害のある子どもが生まれたことを証言した。


Ewald は、1963年から1988年の間、東ドイツスポーツ連合の指導者だった。国家的なドーピングシステムは、ドイツが1990年に統合されてから、判明した。


Ewaldは高い地位にあったので、彼の裁判は、旧東ドイツの一連のスポーツ関連の裁判の中でも、最も重要な意味がある。これまでの裁判では、被告たちは罰金刑か執行猶予の審判が下っている。


ドイツの司法当局は、時間に追われている。なぜなら、ドイツ再統合の10年後である2000年の10月2日を過ぎると、Ewald らドーピング事件の関係者を罰することはできなくなるからだ。

(以上 訳 by AJ)


女性選手時代。

男性変更後。