日本残酷死刑史


『日本残酷死刑史』を読む。

前半は、タイトルどおり、日本の残酷死刑の歴史。


P26
>臨月の女を引き立てて腹を刃物で断ち割る、生きながら腹を切り裂かれる女はたまったものではない。
血をしぶかせて、苦悶し、絶叫する。腸や内臓が露出する。子宮が現れる。刀の切尖はそれをさらにえぐる。胎児が血に染まって現れる。虐殺者はその胎児を見て楽しむ。
これは『武烈記』によると、武烈天皇が好んでおこなった残虐の一つである。


P29
雄略天皇は(中略)、老人の一族をことごとく捕らえて引き立て、一人一人膝の筋を切断したのである。


P63
北条泰時が作った御成敗式目にはまた「宮刑」が定めてある。これは男性の陰嚢を切り裂き、睾丸をえぐり出す刑である。
 陰茎を切りとる方法もあった。女性の場合は、逆に腟の口を縫いつぶすのである。


後半は、現代の日本の死刑について詳しく記し、いかにそれもまた、残虐であるかを明らかにしている。


個人的に、特に印象的だったのは、次の箇所。
P206
>医師(法務技官)は、執行と同時に、ストップ・ウオッチを押して、先に立って職員と共に十七階段を降りてくる。
 職員は、死刑囚の顔から白布を取り除き、医師は脈拍を測る。次に聴診器で心臓の鼓動を測る。平常は、十二、三分で脈拍は停止する。長いもので十五、六分といわれている。止まると死亡とされ、五分後に絞縄をとき、検屍して、死刑執行は終わる。


法務技官の医師のことをいろいろと想像した。