ドキュメント 両性の間で 体は女、心は男

読売新聞(西部版) 2005年5月18日(水) 朝刊

ドキュメント 両性の間で <1>体は女、心は男


 東京都内のあるカラオケボックス前。綿パンにジャンパーを羽織ったラフなファッションの紳士が、パソコンの入ったバッグを小脇に抱えて姿を現した。「中でゆっくり話しましょう」。薄くひげが伸びた口元に笑みを浮かべた。

 ◆FTM関門・北九州を開設

 通称・伊東聰。30歳。山口県下関市生まれ。大学院卒業後、都内でIT関連の個人事業主として、企業会計処理のプログラム作成などに従事する一方、2003年3月、九州北部などで性同一性障害GID)に悩む女性(FTM)に、GIDへの正しい知識や治療情報などを提供する自助グループ「FTM関門・北九州」を組織し、相談に乗っている。

 GIDをめぐる世界史など、伊東自身の研究成果を発表するホームページ「さとしの人間総合研究所」も開設、全国のFTMに名の知れた人物だ。

 カラオケボックスを面会場所にしたのは、人目をはばかる当事者と会う時によく使う「伊東式面会法」だ。「偏見の目から隔絶され、気兼ねなく話ができるのがいい」

 実は伊東も戸籍上、「女」と記載される当事者なのだ。1998年から男性化を進めるホルモン療法を開始。乳房は手術で除去した。外見や低く変声した声は男性として通用する。しかし、子宮も卵巣もある女性だ。

 IT関連の仕事は「治療費を稼ぐために高収入で、治療の時間が取りやすい」ために選んだ道である。長く話していれば女性と気づかれるかもしれないが、人と接する時間は短く、「男性」に疑問を抱くクライアントはいない。

 「同じ境遇に悩む人に、ボクの体験が役に立てば――」。伊東は語り始めた。

 ◆「恋愛」の結末

 自分が男性だと認識したのは4歳のころ。夢中になったアニメ「キャプテンハーロック」や「ヤッターマン」を見ても、感情移入するのは男の子のキャラクターだった。「将来、まずいかも」と不安にさいなまれながら「成長すれば治る」との望みを持ち続けた。心の中はそのままに、胸はふくらみ、初潮を迎えた。

 高校卒業まで不本意なセーラー服を強いられた。「毎日、学生服を着ている自分を空想するしかなかった」。たまりかねて弟に頼み、学生服を貸してもらった。うれしくて一日中、着たままで過ごした。

 複雑な恋愛体験があった。23歳、大学4年生だった。親友だった男子学生に「恋人として付き合ってほしい」と告白された。「自分の心は男性と伝えてあったはずなのに」

 親友のことは人間として好きだった。「こんな愛もあっていいか」と割り切り、付き合った。子どもを産むことまで真剣に考えた。だが、女として愛されるのは嫌だった。

 半年後、「お前はやっぱり男だ。おれは女に愛されたい」。親友は冷たく言い放ち、去っていった。心と体のアンバランスを呪(のろ)い、「自殺」の2文字が脳裏で明滅を繰り返した。

 ◆適合手術に踏み切る

 「もうだめだ。体を心に合わせるしかない」。心の中から激しい雄たけびが上がった。

 伊東は大学を卒業した98年8月、埼玉医大(埼玉県川越市)で外性器を形成する性別適合手術を受けるため、都内にある同医大系列の精神科クリニックに通い始めた。

 GIDの診断基準と治療のあり方を示した日本精神神経学会ガイドラインによれば、治療は精神科医ら複数の意見書を基に、第1段階の精神的サポートから、第2段階のホルモン療法と乳房切除手術、第3段階の性別適合手術まで進むことができ、本人の希望で途中でとどまる場合もある。

 当時、公に性別適合手術に取り組む医療機関はなく、同医大が唯一、実施方針を打ち出していただけ。医大が初の手術を行ったのは98年10月だった。

 「神と両親から授かった肉体に、ホルモンや手術で手を加えることに抵抗があった。でも、そうしなければ生きていけない人間もいるんです」

 伊東のステージはいよいよ第3段階に入り、6月に女性器を摘出、男性器を形成する手術を受ける。成功すれば戸籍上の性別の変更を認める「性同一性障害者性別特例法」(04年7月施行)の要件を満たす。術後、なるべく早く変更申請の手続きを取るという。

 GIDの当事者は、パスポート、健康保険証、運転免許証など公的書類を必要とする場面で、記載された性別と外見が異なることから不要なトラブルを招きやすい。

 将来、国際ジャーナリストに転じる夢を持つ伊東にとって、外国への入国、取材活動に支障を来すことは避けたい。戸籍上の性別を変えることは、男性のパスポートを入手する必要条件でもある。「今年が人生の正念場」。胸は高鳴るばかりだ。

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 男女の両性の間に埋もれる人たちがいる。人目をはばかりながら生きる性同一性障害者と同性愛者。少数者の抱える問題点を浮かび上がらせ、多様な人たちが共存する社会のあり方を探る。(文中敬称略、この連載は源一秀が担当します)


性同一性障害】 世界保健機関(WHO)で認める医学的疾患。心と体の性の不一致に悩み、心の性に近づけるため、ホルモン療法や性別適合手術を求めることが多い。女性を望む男性をMTF(Male To Female)、男性を望む女性をFTM(Female To Male)と呼ぶ。東京都在住の針間克己医師(精神科)によると、障害の原因は不明。国内の主要な医療機関でこれまでに約4000人が性同一性障害と診断された。男女ほぼ半数ずつという。「性自認の問題と理解されておらず、性的嗜好(しこう)との偏見が根強い」と社会の意識改革を訴えている。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/006/do_006_050519.htm